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Yoga as Business

 21,2011 20:10
最近TYG代表のちゃまさんがヨガとお金について書いたことへ、あちこちからよせられた「よく書いてくれた」的な反響をちらちらっとツィッターなんかで読んでいて、正直驚きました。何が驚きって、日本のヨガ「業界(あえてこの言葉を使いますが)」では、ヨガを教えるということのビジネスという側面について公に語らないという傾向があったのだと初めて気がついたからです。

アメリカでは今ほとんどのTTに必ずこのヨガとビジネスについてのレクチャーが含まれていると思います。私があのヨガ激戦区のNYに居たからどうだというわけではなく、ヨガのティーチングとビジネスが相容れないものだなどいう考えは、とても奇妙に思います。このトピックはもうあらゆる角度から読み解くことができるのですが、とにかくヨガを教えるということを生業にすることから少し書いてみたいと思います。

まず、ヨガ・ティーチャーというのは悟りを開いた仙人でも仏でもありません。彼らはただのヒトです。皆と同じように、道に迷い、救われたいと願い、それでもなおこの人生の荒波を生き抜こうとしている一人の人間にすぎません。彼らはまた、皆と同じように、ヨガのプラクティスのその途中にある人たちです。それは終わりなき道であり、その終わりない道を、躓き、よろめき、迷いながら、皆と同じように歩み続けているにすぎません。彼らもまたこの巨大な経済システムの中に生きています。彼らもまた日々の糧を自分で稼ぐ労働者です。ただ、ヨガがこの激しい生を生きてゆく中で、人々のWellnessになんらかの形でお手伝いができるのではと思っているのだと思います。そのプラクティスから学んだことを、得た事を他の人にもシェアしてゆきたいと思って、この仕事に従事しているのだと思います。それは全ての労働と呼ばれるものが持つ、公共・社会への還元という側面と同じようなものだと思います。企業もやはりどんな形にしろ社会に還元します。例えば、医療従事者が、所得を得ながら、その技術と知識を人々の健康を思い、手助けをしたいと思って働いているのと同じです。もちろん、がちがちに自分の利益のみを追求する人もいるかもしれない。程度の差はあります。でも、世界は「白・黒」ではっきりと分けられないのです。私達それぞれが相反する側面を同時に併せ持つのと同じです。

このことは、ちょっと見回せば、別に目新しいものではないと思います。バチカンはその政治性とビジネス性でほとんどスキャンダラスでありますが(笑)でもそれによって救われる人が居ることも事実です。程度の差はあるものの宗教団体はよい例だと思います。福祉・医療関係にはじまって、教育、公共団体から一般企業に至るまで皆同じです。そしてどのあり方を生きようとそれは選択にすぎない。資本主義社会の真っ只中で、ヨガを教えることからビジネスの側面を切り離すことは難しいと思います。純粋主義の政治性によってヨガを特別なものに位置付けるのはある意味危険であると思います。もちろん、中にはそれを実践しようと努力している人もいるでしょう。また一方で、生活を支えるための収入源が他にあって、余暇を使って奉仕のヨガを教えているから私のヨガはビジネスではないという方もいるかもしれません。でも資本主義の経済システムの中でなんらかの形で収入を得ながら、私のヨガは違いますなんて理論に説得力はないですよね。何故なら、(そしてここにまた戻ってくるわけですが)クラスの中だけが「ヨガ」ではなく、それはまさに在り方であるからです。私達は複雑なシステムの中で複雑に生きています。それを完全に「浄化」する必要はないのです。浄も不浄もないのですから。そして、それぞれ違うあり方を模索し生きているからです。

ヨガのティーチャーで迷い苦悩していない人はいないでしょう。この経済システムの中に生きつつ、自分が信じ伝えたいと思うヨガを伝えようとするとき、あえていわゆるビジネス的な手法をとらざるを得ないのが現実だからです。ですが、私はそれを悪いとは思いません。伝えたいと思うものがそこにある。そして人に伝えるため、人に届くためのスペースが必要なのです。自己満足でない質のよいヨガを提供するために、そして自分のウェルネスを支えるための収入も必要です。どんなヨガもあります。どれもヨガです。自分が伝えたいヨガがあるなら、それを支えるために必要なビジネスの手段をとってもいいのです。そうした中で、人々が自分に合うヨガを選択できればいいのだと思います。












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