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OM三回唱えます

 25,2010 14:02
日本に帰ってきた当初、OMを唱えないヨガのクラスは不思議な光景でした。

レッスンの最初と最後、NYのOMヨガではOMを三回唱えます。クラスの全員によるOM三唱は、何よりも美しく、いつも心が洗われる思いがします。

私の場合、レッスンのはじめのOMはこれから始まるプラクティスに向けて、そこに来るまでに背負ってきてしまったコト、Let Go できなかったものを、一旦横において、あるいは飛ばして、まっさらで無になって呼吸と身体がなすハーモニーを聞き感じる最初の機会です。

レッスンの終わりのOMは、ヨガによって作られた空間から生まれる平安を感じさせてくれます。プラクティスそのもの・指導してくださる先生・一緒にプラクティスした仲間・そこに「在る」ことができるまさにそのこと、そしてプラクティスによってもたらされた恩恵に対する感謝の気持ちをこめて唱えます。

OMの音は美しい。そこには「意味」というものが存在せず、「意味」を考える必要がない。ただただ宇宙の息吹である音を感じるだけです。

日本のヨガクラスで、OMが唱えられていないあるいは唱えるのが控えられているのは、オーム真理教によるテロリズムの傷跡のせいであるのは周知のことです。あの事件では、多くの人がその犠牲となり、さらには今もなお心と身体に負った傷で苦しんでいらっしゃるという現実があります。OMと言う言葉はそういう方々にとって本当につらいものであるのは間違いないでしょう。

この現実を踏まえた上で私は私のヨガクラスでOMを三回、クラスの最初と最後にとなえています。

何故ならひとつには、OMを唱えないということは、オーム真理教のテロリズムに別の形で屈していることになると思うからです。オーム真理教は、OMという言葉/音の意味を本来とはかけ離れたモノに書き換えてしまった。その書き換えられた意味に捕らわれて、OMを唱えなければ、いつまでも真理教によるテロリズムの呪縛から放たれていないということになります。私は、残酷なテロの記憶を心の片隅に、尚ここで、一人のヨガプラクティショナーとして、もう一度OMの意味の書き換えを試みたいと思うのです。

OMの音がある人たちにとっては、非常に残酷なものであるのはわかります。そしてあえてヨガのプラクティスという場、すなわちだれもが心乱されること無くプラクティスに臨めるはずの場所において、その平安をリードする義務のあるティーチャーが、あえて冒険に挑んでいるということも承知しています。日本に帰ってきてからOMを唱えるとき、そのことが一瞬でも頭をよぎらない日はありません。

ですが、私たちはいつまでもオーム真理教に心理的に操作されつづけていてはいけないと思うのです。

心を込めて平安を思いOMを唱えることで、OMの言葉に暴力的に付与された「意味」は、私たちから変えていけると信じます。










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