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学ぶ機会

 01,2010 14:12
先週はスタジオで行われていたYogaWorksの特別レッスンやWorkshopの通訳に、いくつかの代行っと、ちょっと激しく忙しい毎日でした。

いつもヨガの通訳をしてい苦労するのですが、英語では簡単な表現ですむことが、日本語では長いセンテンスになったり、いくつか情報を足す必要があることです。テンポよくクラスを進めるために、また特にヴィンヤサのようにペースがある場合は、まったく忙しく、早口になってせわしないなと思います。時に、いくつかの英語はそのまま訳しただけでは全く意味を成さないこともあるため、そういう場合は毎回工夫のしどころです。

通訳・翻訳という作業もそうですが、ヨガへのアプローチもいかにその知識を使って、身体に負担ない形でクラスを導くかという意味では、各講師の創造性と工夫しだいだなと思います。

今回、Yogaworksのクラスにはいって、つくづく思ったのですが、なにか「工夫をする」ということにあまり捕らわれ過ぎると多くの場合上手くいかないんですね。基本となる考え方に相違はなくても、その情報をそのまま「知識」として使うのと、実際に自分の身体をつかって、そして生徒の反応を見てからそれを工夫して使うのとでは大きな差があります。頭だけで考えた工夫は多くの場合上手く行かず、文脈を失ってしまいがちです。

さらには、「工夫すること」に捕らわれてしまうと、上手くいっていないという現実が見えなくなって、単に教える側の自己満足に終わってしまったりします。

端に胸を開く、肩を開く、ヒップを開く、というテーマも、実際にその工夫をつかってアサナに導く場合、そのポーズの土台となる一番かなめの部分を押さえずに、そのポイントにだけに着目し、言及したのでは、そのモディフィケーション・ヴァリエーションの本来の目的を失ってしまいます。これはどんなタイプ・スタイルのヨガでも同じだと思います。私もそんな失敗は日常茶飯事ですが、常にホリスティックであることを忘れないようにしたいと思います。

とは言え、なかなかその中にいると見えないもの・・・。

NYに居たとき、いろいろなクラスに出ては、そうした場面に出会うたび、

1)なぜ「これ」を使いたくないと思うか
2)ならば、「これ」をどう使うか

と、考えをめぐらせたりしました。こうした場面はとてもよい学ぶ機会となります。

と、小難しいことを書きましたが、大阪では質の良いレッスンに出会うチャンスが少ないので、今回のYogawoksのクラスは楽しく、学ぶ機会の多い経験でした。

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来春は東京でのOMヨガの第二回目のTTがあります。

OMヨガのTTでは、シークエンスにおいて文脈を失わないということから、モディフィケーションがその目的を果たしているかを判断する目、そしてヨガを教えるにあたって忘れてはならない教える側の姿勢などについても学びます。そのヨガがヨガ哲学と、そして仏教の中庸の思想から離れることはありません。伝統的なヨガに比べると、かなりコレオグラフィックなヨガですが、アクロバット的な動きとの間には明確な線引きがあります。それがOMヨガを美しくしているのだと思います。

大阪では多くの人が、シンディの、そしてOMヨガのシニアティーチャーによるWSを待っています。是非近い将来実現してもらいたいです。









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