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どこで教えても

 16,2015 14:52
ヨガって特に教えることに携わるようになり
ヨガで収入を得るようになり
ヨガが仕事になり
どれだけ週に教えてるか
どんなヨガのクラスを教えてるか
(あぁ、羽のように軽く舞うアシュタンガや
華麗な展開をするヴィンヤサに
エキゾチックでマジカルなアーユルヴェーダに
脳科学みたいな瞑想にトライバルな楽器に・・・
なんともなんだか高等なことをやってるような気がしてるとか?)

が、

ヨガそのものよりも
いつのまにか優先されて

ステイタスとか
プライドとか
どんな風に自分がみえるか・・・
そんなものが絡み合ってくると

自分が携わっているものは一体何なのか
という問いを常に持って
客観的な視点と
厳しい目で自分を眺める姿勢をもたなければ

いろいろと「自分の仕事」に勿体つけたくなって
いつのまにかヨガは自分のアイデンティティを作り上げる
道具になってることが。

ええ、確かにホットにフィットネスに
ダイエットにシェイプアップ・・・
とヨガは別のものだと思いますが。

この深淵なものに正面から向き合うと
実際のところは圧倒されてわからなくなってるんだけど
そのギャップを埋めるべく
いつの間にか「あれ」と「これ」に区別するだけの
操作で終わってしまったり

自分がやってることがとびきり素晴らしい
つまり、自分はこんなに素晴らしいんだって
人に認めてもらいたいとなると
自分のがんばりを訴えたくなり

こんな成果があったとか
こんな評価もらったとか
自分のパワーと能力について確認したくなり
誰彼なしにそれを認めさせたくなったり

あるいは

こういう場所でとか
ああいうスタジオでとか
こんなセレブリティヨギと繋がってるとか
いろいろ「箱」が素晴らしいと
自分まで素晴らしいような
果ては自分が教えている内容まで素晴らしいような

錯覚を持ってしまうことも。

ふふふ

それはヨガとは何の関係もない。
そこにヨガはないです。


ジムであろうがホットであろうが
公民館であろうが公園であろうが
プレスティージの高いスタジオであろうが

どこに行っても
どんな箱にはいってても
どんな場面で
誰を対象にしても

教えることは一つだと思うのです。

ヨガを教えるならヨガを。

教えるのだったら
どこで教えてもヨガを教える。

ヨガに対して知識を持ち
大地に水が染み込むように受け取ることののできる人に教えることが
ヨガなのではないと思います。

教える相手・場所にこだわるということは
自分が教えているものが最高に素晴らしいので
これこれの人にしか教えられませんと言ってるのと同じです。

そうでしょうか?

どのレベルにある人でも
ヨガが全く一体全体何なのかわからなくて
ひょっとしたら
そんなことに全く関心のない人にでさえ

クラスであれば毎回の
その一期一会を大切に臨むように。

私が信じていることの一つ
ヨガはどんな人にでも
必ず何かの気づきをもたらす。

ヨガを教えるということは
教える相手を
教える側のパワーによって
教える側の理想通りの
何かに「変える」ことではないです。

たとえそれが岩盤のような大地であっても
種を植える。
ただ淡々と植えつづける。

伝える工夫を怠らず
その一方で
何としてでも「わからせよう」
などという力による操作をせずに。

この世の誰もそのような力づくの教えを必要としてません。

教えることが「プラクティス」なのはそういうことです。

受け取る人が素晴らしく意識の高いヨギになったとか
完璧なポーズのヨガセルフィー(写真)をSNSにアップするとか
(ところで、キノの怪我を巡っていろいろとかまびすしいのはご存知ですか?)
人生が変わる体験をした!と声を上げてもらうことが

ヨガを教えることではありません。

どこでなにを教えるかとか
どれだけの実力があるかとか
人に認めてもらうことが大切なのではなくて

どう教えるか 。

シンプルです。

ヨガはとても恩恵深い。

そうしたものとは無縁の平安の中に
ヨガはあると思うのです。

そしてそのように
私自身もプラクティスを重ねたいと思います。



Namaste


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