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ハンズオンについて思うこと

 23,2015 17:30
アジャスト・アシスト・サポートの講座に対するアンケートをぼちぼちと受け取っています。どれもこれも今後の講座を間違いなく豊かなものへと導く貴重なご意見ばかりで、いただいたフィードバックに感激しています。

ダウンドッグでもたくさんの種類のアシストの方法があって、状況によってどう使いわけるのかなど、漫然と「形を直そう」とするのではないハンズオンのやりかたを伝えることができていたら嬉しいなと思います。ハンズオンは絶妙なペア・ワークです。それはペアでダンスするのに似ています。呼吸の、あ・うんのタイミング。その繊細な感覚を育てていくこと、そうした目を養うよう焦らずに日々重ねることだなと思います。

ハンズオンはまた副題にもあるように、「慈愛深いもの」でありたいと私は思います。人の身体に触れるということ。人の身体を神聖なものとして大切に扱うこと。実は私、技術以上にそこにプライオリティを置いています。講座の中でも一番最初に大切な事としてお伝えしましたが、人の身体を大切に尊重する姿勢については、私自身、毎回クラスの前に気を引き締めて臨むよう自分に言い聞かせています。このことは、実は、「技術」が優れているとか「洗練」されているとかいう以前の課題で、私自身の姿勢と視野がとわれるところだと思っています。

私たちはいろいろな経験を経て今に至ります。誰もが必ずしも姿勢をよくしたり、ちょっとした不調を改善したり、シェイプアップしたり、ポーズの完成度や美を追求したり・ハッスルしたりを「目的」 にプラクティスするわけではないと私は思っています。それらの恩恵もあるし、それを求める人もいますが、それ「だけ」を求めてくる人ばかりではないということを、教える側は知っておくことがとても大切なのではないでしょうか。

私たちは実際のところ誰のこともあまりよく知ってはいないです。私自身、父を失った時に彼について何も知らないということに愕然としたのをとてもはっきりと覚えています。あんなに近かったのに、なぜもっと知る事ができなかったんだろうとも思いました。でも、どんなに近しい人でも、どんなによく知っているような気がしても、たとえ家族でも親友でも、私たちは実際のところ全てを知っているわけではありません。

いろいろな経歴を持つ人がいて、そうした一人一人を尊重できるクラスに、微力でも及ばなくても、してゆきたいという姿勢を私は失わないようにしたいなと思っています。いろいろな経歴を持つ人が集まるグループ・レッスンという場面で、誰かを排除することのないようなクラスを導くことができるよう祈ります。

人の身体に触れる前に触れても良いか聞くことは当然のことながら、どういう言葉を使い、どのようにアプローチを変えて届くかということも配慮したかどうか、クラスの後、駅のホームや電車でぼんやりしている時に振り返ります。

大概の人は(とくに日本では)故障について、あるいはそれがちょっとした痛みでも、クラスのような場面で、あるいはそれが講師に直接であっても、伝える事に慣れていないし、あるいはパーソナルなゆえに語れないことも多々だったりします。いわんや、経験をめぐるトラウマについてはなおさらだと思います。全てを私たちが知ることはないし、当然それを無理に聞き出す必要もないのですが、だからこそ、講師は自分が全てを知っているわけではないというスタンスを持つことが大事だと私は思っています。常に、より良い方法を模索し探求すること、それを淡々と続けることだなぁといつも思います。

教えることは全くプラクティスそのものです。ある日突然、大きな気づきを得ることもありますし、時には同じところで足踏みしているように感じることも多々あります。答えを性急に出そうとするのではなく、ひたすらその種を撒き続けることなんだと思います。

今回週末の半日X2日間で完結するようにと時間を組んだので、密に詰まった時間を駆け抜けたかんじでした。ポーズ自体も準備していたもののお伝えすることができなかったものがあり、プログラムの組み方も一考する必要あると思っています。次回は、実践とこの「慈愛」のことをもう少し、じんわりとしみ込む余裕のあるスケジュールにしたいと思っています。

トレーニングをするたびに、たくさんのことを受け取っています。気づきをもたらしてくださる参加者の方にはとても感謝しています。

Namaste



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