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ヨガって

 09,2014 13:53
ヨガって一体何なのかしら?
って思う人たくさんなんじゃないでしょうか?
おそらくヨガ教えている人たちでさえ。

ヨガっておそらくよく知らない人には、
どこか違う世界の(まぁ悪く言えば奇妙で新興宗教的で・・)
ニューエイジの、ヒッピーの、
よくわからない神秘主義とか、行者のような修行に、
難解な哲学と、なんとなく堅苦しい啓発がいろいろで・・・。

そのような生活を送っている人も中にはいると思いますが、
必ずしもそれでなくては「ならない」とは限らないと私は思っています。
そしてそれはとても極端な一面しかヨガについて語っていないのではないでしょうか?

私にとって、ヨガはこの人生を、この早いスピードで展開し、
多くの要求をこなしていかなくてはならないような現代社会を、
より自分らしく生きるためのツール、テクニックです。

生き方の上で、うまく回ってなかったところ、風通しの悪かったところ、
が解けてよりオープンで解放された自分として生きる事ができるようになれば、
日常も自分自身であることも心地よいものになっていく。
生きることが楽で心地よくなります。

それは困難やチャレンジや苦悩がなくなるということではありません。
そうではなくて、そうした困難があっても、揺らぎ悩むことがあっても、
日々に臨んでいく勇気とある種の楽観的視線、希望を持つことができるテクニックだと思います。

私にとって、ヨガは人生の目的ではなくて、より良く生きるためのテクニックです。
お風呂に入ったり歯を磨いたりといったことと変わりないもので、
とても日常、現実に根ざしたものだと私は思っています。

「より良く」っていうと何か道徳的に正しい、人徳のある、あるいは清廉な・・などなど、
をイメージしてしまいますが、それらはきっと後から付いてくるものなんじゃないかなと思います。

ここで私が言う「より良い」とは、簡単に言うとリフレッシュ。
あるいはよどんだ空気の切り返しとなるきっかけ、でしょうか。
そしてむしろこの目覚める感覚の方が、
道徳的に良い人になろうとがんばることよりも、
大切でエッセンシャルなのではないだろうかと私は思います。

身体のレベルで、あるいは心のレベルで、
弱ってたり傷んでたのが再生し回復される感じです。
身体が軽くなって目覚める感じ。
もやもややダウナーな気分がふっとすっきりした感じ。
また今日もがんばろうって、ちょっとエナジーがわいてくる感じ。

もちろん、それ以上に深い恩恵をもたらすものでもあります。
例えば、誰もが自分の中に抱えている、
不安や悲しみや怒りや妬みなどのネガティブな側面が、
時にバランスを崩して増大し、
パターンを繰り返して下向きのスパイラルに陥っていたら、
それを別のエネルギーに変えるテクニックでもあります。

あるいは身体の不調や病気が、
生きることの喜びを失わせていたら、
その不調をマネージし、
もう一度人生に喜びを見出すことにつながるテクニック。
これはマジックでも奇跡でも神秘でもなくてテクニックだと私は思います。

ヨガはまた、
社会で成功してなくて、学歴がなくて、
美人でなくて、お金持ちじゃなくて、
痩せてスリムでなくて、若く見られなくて、
理想と懸け離れたさえない自分で・・・、
と、いろいろなことに囚われて、
心の作用で今の自分自身を快く思えないときに、
囚われているものから一歩外に出て違う視線でみることができたり、
いろいろな工夫をし前向きに取り組んだり、
見たくないものを見る勇気や、
変化のために行動を起こす勇気を自分の中に見出すための
テクニックでもあります。

そして自分らしくっていうのは、
それらの「理想の状態」になくても全くOKだと思えることなのではないでしょうか?

ヨガをしてもこうした囚われは延々と続くこともあります。
ヨガして心は清く人徳のある温厚な人にならなくてはって思ったり、
エゴなく他の命のために生きていかなくては・・とか、
心身ともに常に素晴らしいコンディションで、
生活やお金の事には囚われず関心なく、
何もかもが上向きで良いことばかりとか、
なんだか常に健康で前向きで若々しく(笑)・・・。

ヨガを学ぶ中で、
ある種の理想を描いて(あるいはそうならなければならないという枷を自分に課して)
その形へと自分を矯正してゆくことに囚われるのは辛いことです。
だけれどもまた、ヨガを実践しようがすまいが、
囚われることが全くなくなることもありません。

ヨガは道だというのは、それは重ねることで、
テクニックとして活きてくるということです。
重ねることでテクニックは洗練され、
人生にはつきものの変化や困難の中で、
より適切に自分のバランスをとることができます。

だけど、道だから自分のペースで歩いてよいのです。
そして道だからどのステージにあってもOKなのです。
リフレッシュの種を一つ植えて、また次のリフレッシュの種を植える。
より心地よく生きるために一歩足をすすめて、また一歩足をすすめる。
歩幅はみんな違うので、進む距離も違います。
そしてまた自分に心地よい場所は、
必ずしも他の人や他の命が心地よいとは限らないということ。

プラクティスして、また次のプラクティスを1つ重ねる。
時間的に間があいて、
そして以前のリフレッシュした感覚すら忘れてしまっていても大丈夫です。
またマットにもどって重ねること。
遅々として前に進まず、進歩もないように思うかもしれません。
でもある日、ふと見回したら、
自分が以前とは違う位置に立っていることに気がついたりするかもしれません。

一つ足を進めたら、
また一つ探求したいことが見えてくる。
そんな風に行きつ戻りつ、重ね深めていくので良いと思います。
現代に生きる私たちのヨガとはそうしたものだと思うのです。

Love & Light








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