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全ては基礎から

 21,2010 18:05
日本に帰ってきてから時々思うのですが、ある程度動けるようになると、多くの人は「いわゆる」よりチャレンジングで華やかなポーズばかりに視点が行ってしまって、基礎を確認するような練習をこつこつやる、ベーシックとかビギナー向け(と思われている)メニューを練習する、ということをしないように思います。ベースの練習というのはそういう視点から見ると確かに「地味」でしょう。ですが、私は、ベースの練習をしないアドバンストのプラクティショナーはありえないと思っています。私達の身体はこの瞬間にも変化を続けます。どんなにアドバンストになっても、ベースを整えることはとても大切なのです。そして、達成感や目的意識から「うまくやる」ことを「考え」すぎると、プラクティスはただエゴを満足させるだけのものか、あるいはストレスフルに終わるかになり、呼吸と動きと心が一点に収斂されていく-心の静寂と平安そのことが、どこかに置き忘れられてしまうに思います。

たとえば、ニーズ・チェスト・チンからベイビーコブラへのトランジションは、単にチャタランガからアップドッグのやさしいヴァージョンでは決してないのです。確かに、プログラム上、「モディフィケーション」と考えられています。だけどこれらは違う動きであり、別のプラクティスなのです。そして、ニーズ・チェスト・チンからベイビーコブラへのトランジションの一瞬一瞬に気をつけて練習することは、中途半端なチャタランガを繰り返すよりよほどアドバンストのプラクティスなのです。

私の母はとても若い頃からお茶を習っていたのですが、彼女がまだレッスンを始めた当初、毎回一緒になる、年のころは70代位の白髪の女性がいらっしゃったそうです。その女性も若い頃からお茶をプラクティスされていた方だったそうですが、そんなに長い経験をもっていても、私の母のような初心者と一緒に、基礎の平手前の練習を毎日欠かさずされていたそうです。そしてそのお手前は息を呑むほど美しかったそうです。

私は小さい頃から結構長い間ピアノを練習しましたが、やはりどんなにアドバンストになっても、基礎練習は欠かさないように指導されました。その当時はその退屈な(!)練習が、かったるくて(!)イヤでしたが、今となってはその先生に感謝しています。

土台の無いところには積み上げることができず、基礎のないものから展開することはないと思います。そしてこの繰り返しの練習の中に、気づきがあるのだと思うのです。ヨガにおいては、目的は必要ないのです、何故なら私達はどこへも行かないのだから。
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