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日常へ

 19,2011 21:16
東日本の現実とは比べ物にもならない程かけ離れた日常(もうどちらがRealで、どちらがsurrealなのか分らないほどです・・・)が営まれている大阪ですが、それでもはっきりと人々の中で大きな変化がおこっています。

私の周りでは、そして皆んなの周りで、具体的にそれぞれが自分にできることを考えて、それを実行に移しています。

自分の収入のいくらかを寄付するひと。
実際の支援に出向くためサインアップしたひと。
おやつをがまんして募金するひと。
義援金が売り上げのナンパーセントになるからっと商品を購入して、そして購入したものを周りの人にシェアするひと。
バスをやめて自転車にして浮いたお金を寄付する人。
お釣を財布に仕舞わず、ポケットに入れて、募金箱を見つけてはそれを寄付しているひと。
反核の運動を考え始めたひと。
ひたすら日常を生きるように勤めたひと。
そして、回りにいる人が大切な存在だと改めて感じた人・・・。その全てに、強い思いと祈りが込められています。

そうして、私は生かされていることに感謝しつつ、私の日常、いつもの通りレッスンに向かっています。

多くの人が、この当たり前の日常を送ることに罪悪感を感じています。確かに、多くの人は「ここで○○XXしている以外に何かできるのではないだろうか?」とあの日依頼、自分に問わない日はないのではないでしょうか?

もちろん私もそう思ったし、私のクラスに来る方々もそれを口にします。

あの日依頼、必ずレッスンの前に話すことのひとつに、この日常を過ごすことの大切さがあります。当たり前の日常を過ごすことのできる人たちは、あたりまえの日常を生きること。花を愛でてもいい。陽の光に手足を伸ばしてもいい。音楽を聴いたっていいし、家族と友人と笑ってもいいのです。

もちろん、自分で責任の取れる範囲で、冷静な判断を持って、積極的にボランティアや救済活動に参加するのも一案でしょう。インスタントな正義感と自己満足な奉仕精神ではない何かを、自分にできる範囲でしてもいい。(最も今のような混沌とした状況では、「猪突猛進」が何らかの実を結ばないとは断言できないかもしれない・・・と、ふと思ったりしますが・・・。ただし、そんな行動が増えると混乱が増すのは確かです。)具体的なアクションを起せない方はもちろん祈ってもいい。祈りの力は決してあなどれないと私は思います。何故なら祈りは意志と希望につながるからです。意志と希望は世界を変える大きな原動力です。

そしてヨガをプラクティスする人は、プラクティスを通じて、自分の心と身体にスペースを作ること。ヨガをプラクティスしてもいいのです。そして、それを通じて、今一度、自分の中にFaithを持つこと。そのとき、それぞれがなすべきことはきっとClarityを持って見えてくると私は思います。そこに正しいとか間違いとかは、ないのだと思います。

マットから降りたとき、誰の押し付けでもなく、誰の意見でもない、自分の視点から見えたそのことを、ひとつづつやっていけばいいのだと思います。








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